韓国の伝統的な焼き肉は、下味をつけた牛肉や豚肉の薄切りを網などにのせて直火で焼くのが特徴ですが、この焼き肉のルーツを探ると、「メッチョッ」(맥적)という料理名にたどりつきます。
メッチョッは漢字で「貊炙」と書き、「貊」(맥:メッ)は古代の中国東北部~朝鮮半島北東部に存在した部族(後に高句麗となる)の名で、「炙」(적:チョッ)は串焼きや網焼きなど直火で炙り焼くことを意味します。「貊炙」という文字が文献上に初めて現れるのは、中国・晋時代の『捜神記』で、その第7巻には「胡牀,貊盤,翟の器なり。羌煮、貊炙、翟の食なり。太始以来、中国の貴人・富人はみな賓客・祝賀の饗宴で先んじてこれを用いる」という記載があります。「翟」とは中国・漢族からみた異民族の蔑称で、この時代から「貊」すなわち高句麗人の祖先が焼き肉を食べており、それが中国でも好んで受け入れられていたことがわかります。
ここからもわかるように、「貊炙」は中国語(漢語)由来のことばで、朝鮮半島では焼き肉(牛肉の焼き肉)のことを「ノビアニ」(너비아니)、「ソリャミョッ」(설야멱:雪夜覓)、「ソルリジョッ」(설리적:雪裏炙)などと称してきたため、朝鮮半島の文献にはこちらの名称で何度も登場します。
一方、「貊炙」という記載は、日本植民地時代に崔南善が朝鮮語で著した『故事通』(1943年刊)があり、その「炙」の項では次のような記述が見られます。「漢代より、<羌煮><貊炙>とよばれる肉の調理法が北方から中原に伝わり、一世を風靡し、ついには饗宴の内容を豪勢にする役割を果たした。<煮>は肉の煮もの、<炙>は肉の焼きものをさし、<羌>は西北の遊牧民族、<貊>は東北の扶余系民族をさす。<貊炙>すなわち扶余式焼き肉は、なかなかのものである。唐代の文献には<貊炙>の項が設けられており、長い年月にわたって人々に好まれ続け、貊炙を中心とした食膳には<貊盤>という呼称までつけられていた」 その後、朝鮮半島ではこうした豚の焼き肉は、テジコギクイ(돼지고기구이)、テジカルビクイ(돼지갈비구이)、テジカルビ(돼지갈비)などと呼ばれて、牛の焼き肉とはまた別ものの庶民料理として、人々に愛され現在に至っています。
そして「メッチョッ」という料理名が韓国で再浮上したのは、李氏朝鮮時代の宮廷を舞台にした大河ドラマ「テジャングム」(대장금:邦題<チャングムの誓い>)の影響が大きかったといえます。韓国で2003~2004年にかけて放映されたこのドラマが大ヒットするや、宮中料理が一躍脚光を浴びるようになり、関連する料理本が次々と出版され、宮中料理専門店も多数出現しました。はるか昔の料理である「メッチョッ」が、現代バージョンで復元されたことは、大きな意義があるといえましょう。