餃子の歴史

中国での歴史

紀元前5000年
北方で小麦の栽培が始まる。

紀元前206~220年(漢代)
小麦食が一般化し、点心が小麦の食べ方の一つとして根付く。

618年~907年(唐代)
1960年代後半中国西北部にある唐代の古墳の中から餃子によく似た形の化石が出土。

1792年(清代)
料理書『隋園食単』に餃子の記述が登場。

1800年以降(清代末期)
多くの書物に餃子が登場するようになり、この頃から餃子の発展が伺える。

日本への伝来

1778年(江戸時代 安永7年)
中国料理書『卓子調烹法』で初めて餃子が紹介される。その10年ほど後に中国事情を記した書『清俗紀聞』には、餃子が絵入り(シュウマイの形に似ている)で記されているが、庶民の食べ物としては普及せず。

1945年以降(昭和時代)
第二次世界大戦後、中国(特に東北部の満州)にいた日本人が帰国し、満州で食べた餃子を懐かしみ、また生活のために作って売るようになる。その後2~3年で全国に普及したのは、他の食品や料理と比べても早く、それは次のような理由が考えられる。
(1)おいしい
(2)安価な大衆食品
(3)栄養のバランスがよい
(4)いろいろアレンジができる
(5)家庭で簡単に作れる

中国における餃子

現在、中国では春節(中国の旧正月)前後の行事や、めでたい席で餃子を食べます。その理由の一つは、餃子の形が清朝まで使われていた貨幣の「馬蹄銀」に似ていることから、「お金に恵まれるように」という願いがこめられていたからだと言われています。餃子を正月元旦に食べる決まりは明代から始まったともいわれ、餃子の中に物(小銭、銀貨、宝石など)を包み、この餃子に当たった人は、この年の幸多きことが約束されるといった運試しのような遊びもあります。
また、餃子は「ジャオズ」との読みが、「交子(ジャオズ):子が交わる、子を授かるを意味する」という言葉と音が同じことから、「子供に恵まれるように」との願いも込められていると言われています。 このように、餃子は中国ではとてもめでたい食べ物だと考えられています。

日本と中国の餃子の違い

普及するにつれ、餃子は日本の食生活に合うように、本場中国での食べ方、調理法、味つけとは変わっていきました。

[中国 ]
主食として食べることが多く、水餃子や蒸餃子が一般的。 焼餃子は残った餃子を焼いて食べることが多く、「鉄貼(グゥオティエ)」と呼ばれる。

[日本 ]
焼餃子が一般的。
焼餃子が普及したのは、主食に米に合うことや、焼いた香ばしい匂いが好まれる傾向にあったことなどから。また、餡の中ににんにくを入れたり、つけだれにラー油を使うのも、日本独自のスタイル。

主な調理法

蒸餃子 <蒸す> 
点心として最も一般的な食べ方。
味が水に逃げず、皮の食感が楽しめる。
透明な皮を使ったり、具材、見た目もバリエーションが多い。
水餃子 <ゆでる> 
現在の中国で最も一般的な食べ方。
やや厚めの皮で包み主食として楽しむ。
茹でたものに香味ソースをかけたり、スープ餃子としても食べたりもする。
焼餃子 <焼く> 
現日本で最も一般的な食べ方。
餃子に少量の油と水を加え蓋をして蒸し焼きした後、香ばしく焼きあげる。
ひだを作りながら三日月型に包むものが多い。